日本ではじめて塗装が行われたのはこの横浜からでした。
外人墓地のほぼ真下にあたる元町商店街から200メートルほど奥にある元町公園には「塗装発祥の地」として記念碑がたてられています。
生まれも育ちも横浜の私にとっては、少し意義深いものを感じたりもします。
1853年の横浜の開港前に当時の渋塗り職人の町田辰五郎が、アメリカから伝わったペンキ塗装を命じられ、日本ではじめて塗装を手がけた人物だといわれています。
その名残りがあるのか、港の見える丘公園から外人墓地の方角に向かっていく山手本通りのに面する家には、さまざまな西洋館があり、確かに塗り応えがありそうな家というイメージもあります。
ちなみに建立発起人には13人の名前が刻印されていますが、塗装職人だったのかどうかは定かではありません。
昔の職人に聞くと当時はローラーなどはなく、養生も新聞紙で行っていたということですが、横浜開港はもっと倍近く昔の話なので、塗り方の想像もできません。ちなみにローラーも確かアメリカから伝わってきたということらしいです。
横浜は1859年に開港されました。
当時の神奈川宿にあたる今の青木橋(神奈川区)にある本覚寺が高台にあるため景観がいいのと船着き場までが近いという理由で、本覚寺がアメリカの領事館に指定されたということです。
そしてこの本覚寺には、全国塗装業者合同慰霊碑が立てられています。
本覚寺の寺史では、日本で純日本建築物にはじめてペンキ塗装をしたのが領事館員と言われています。
純日本建築物をはじめて塗装したのがアメリカ人の領事館員、西洋館をはじめて塗装したのが、江戸の渋塗り職人とは面白いですね。
ちなみに山門の飾りである唐獅子の口周りには、うっすらですが当時に塗った赤色だと思われるようなペンキが見えます。
今から150年ほど前です。
昔のペンキは今ほど性能が低いでしょうから、現在のシリコン塗料が塗られているとしたら、もっとはっきりと残っているのでしょうか。
さらに言えば横浜駅東口から青木橋付近は、今はビルで遮られているものの、その時は海からの潮風が直接当たっていたはずなので、傷み方も今よりは厳しい条件だったのだと思います。
横浜に塗装がはじめて伝わったというほかにも、港の開港ということもあって、昔は造船所も多く、みなとみらいのランドマークタワーあたりはまだ海で、株式会社塗装職人は西洋館以外にも船体の塗装もよく行っていたようです。
ドックヤードガーデンなどは商船用石造りドックとして、そのまま船が入れるような形状のまま残されています。(写真は飛鳥)
その他横浜には有名な港の見える丘公園、山下公園、中華街や情緒あふれる赤レンガなどがあり、全国住みたいまちランキング1位にもなっています。
いずれにしてもいたるところで注目を浴びるこの横浜で、塗装業者として存在している以上、業者の手本として業界を引っ張っていくように自分自身にも言い聞かせて引き続き邁進していきたいと思います。